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八木の山と人々の関わりを知りたい!

僕の高校時代の部活は山岳部。東京メトロで通学し、都会の人ごみに揉まれる暮らしの中、久しぶりに山に登って空を眺めたい!という思いが強まっていきました。
そんな中、参加することになった「まち冒険」!僕は迷わず八木町の山と人との関わりをテーマに冒険することにしました!
八木町は盆地ということがあって、町中には川が流れその周りを山がぐるっと囲んでいました。そんな山とふもとにある町の人はどう関わってきたのか…
それを知るために観光協会や集落支援員の方にお話を伺い、実際に山に登って散策してきました。

どんな山があるの?

低い山々に囲まれる八木。その中でも自分が印象に残った城山の八木城と愛宕山をご紹介します!
まずは八木城。丹波国三大城郭のひとつとして数えられる山城です。さかのぼること約550年前、内藤氏が山城である八木城を築きあげました。城を構築する石垣が多く、傾斜があって結構険しいです…
この城の最後の城主はキリシタン大名の内藤ジョアン。平和を愛したジョアンでしたが、明智光秀との攻防の末に八木城は陥落。最期は江戸幕府によってフィリピンのマニラに流されてしまいます。しかし、現地住民から思わぬ歓迎を受け、日本人街を築くなどマニラの発展に貢献したと言われています。

次は愛宕山。愛宕山は八木の南東、京都市街地との中間にあります。山頂の愛宕神社が「火伏せの神」を祀っており、山自体に山岳信仰があります。
実は八木の商店街も愛宕山と密接な関係があるのです!後ほどご説明しましょう。

そんな山の危機!

今回初めて八木駅に降り立った時、山は緑に覆われているこの状態が普通だと思っていました。しかしある時期から山は荒れ、この状態に戻るまでには多くの苦難があったそうです。戦後の住宅ブームで林業は一大産業となりましたが、1970年代頃から安価な輸入材に押され、日本の林業は衰退。林業従事者など山に入る人が減少していきました。
一度植林した山は畑や水田と同じで、放置しているとただ荒れ果てていってしまい、結果的に枯れてしまいます。この状態は続き、八木の山々は次第に枯れていってしまいました…

転機は京都議定書

復活のきっかけとなったのは京都議定書!この議定書では山林保護が謳われ、徐々に山の手入れがされるようになりました。また、京都府モデルフォレスト協会が設立され、ここ八木でも島津製作所などが森林保護活動を行っています。
南丹市八木観光協会の片山さんは、山を地元の小学生に解放し環境教育を行い、未来のための森林保護活動も行っています。
「山は京都の台所です。」片山さんの言ったこの一言が今でも心に残っています。

人と山とのむすびつきって?

最初に挙げた八木城と愛宕山。
この2つは今も昔も八木の人の暮らしと密接につながってきました!
八木城では現在、毎年4月に地元の小学校の新入生が登ることが行事として定着しています。
更に内藤ジョアンの縁で、なんと旧・八木町(現・南丹市)とフィリピンのマニラは姉妹都市提携も結んでいるのです!愛宕山には、商店街全体で参拝しに行くことによって1年間の店舗の無事を祈る「愛宕講」があります。
こうして挙げたように八木の山は人々の文化・伝統的につながり、人と人とをつなげる役割を果たしてきたのです。

最後はもちろん…

歴史・文化・伝統…山と人との関わりについて、たくさんのことを知ることができました。
しかし、お話を聞いているだけでは面白くありません。実際に登りたい!
今回は先ほど紹介した八木城のある城山に登りました。
さすがは明智光秀との攻防戦を繰り広げた山城、最初は軽かった足取りも次第に重くなっていきましたが、何とか登頂!
山頂から見下ろす景色はひと時考えることさえも忘れさせてくれました。山は人々をずっと見守ってきたのかもしれませんね。

しばし都会暮らしを離れて、自然と人が密接に関わった暮らしを体験した2日間。山が大好きな僕にとって、中心市街地でありつつも山々とのつながりを大切にする八木の暮らしはとても魅力的でした。
現代の暮らしの中では忘れがちだけれども、実は自然の恵みに生かされている私たち。自然と人間との共生について、今、改めて考え直すべき時がきているのかもしれません。

ギャラリー








新玉裕太

新玉裕太

学生ライター

早稲田/社学/国際金融/アトム通貨/山岳部/お寺巡り/人見知り/マジメ