【予約で10年待ち】月の満ち欠けに合わせて旅するパン屋さん

兵庫県丹波(たんば)市の山々に囲まれた場所に、「HIYORI BROT(ヒヨリ ブロート)」というパン屋さんがあります。

インターネットでのみ販売されているこのお店のパン、なんと予約が10年待ちなんだとか!

なぜそんなに人気なのか、気になりますよね。
その秘密の一つが、その営業スタイル。

それは、「月の満ち欠けに合わせてパンを作る」こと。月齢1〜20日まではパンを焼き、月齢21日からの10日間は、なんと旅にでているのだそう。

そんな不思議なパン屋さん「HIYORI BROT」の店主、塚本久美さんにお話を聞いてきました。

実は、パンは好きじゃない。朝食はご飯派

── やはり、小さい頃からパンが好きだったんですか?

塚本いや、実はそうでもなくて。パンは特別好きではありませんでした

小学校の給食で出るコッペパンは食べられなかったですし、家族全員が朝にパンを食べるなか、私だけ白いご飯を食べてました(笑)

── 意外すぎます。家族の方が食べるの好きじゃないですか(笑)。

塚本そうなんです(笑)。でも大学生の時にあるきっかけがありました。「将来はパン職人になる」と言っている親友がいて。

休日に彼女とお出かけする時は、いつもパン屋めぐりをしていました。私も、食べられない訳ではないから一緒にパンを食べたりして。

そんな仲のいい彼女と、卒業旅行の時にドイツに行きました。そこでの体験があったから、パン屋になろうと思ったんじゃないかな。

── なるほど、親友がきっかけだったんですね。

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塚本2人とも歴史も芸術も興味がなかったので「またパン屋行っちゃう?」となって、パンが有名なドイツに行くことにしました。

一緒にパン屋を巡っているなかで、石臼で粉を引いているお店で、ライ麦系のドイツパン(噛みごたえある食感とライ麦の酸味が特徴的)を食べました。

そのパンが、今まで私が感じたことがないくらい美味しかったんです。そのドイツパンのお店が印象に強く残っていて。

有名企業に就職したものの、パンが忘れられなかった

── それからパン職人を目指し始めたんですか?

塚本いいえ、すぐに職人! というルートではないんですよ。大学卒業後はリクルートに就職しました。編集・企画職に配属されて、3年勤めました。

でもドイツの原体験があり、パンを作りたい気持ちがでてきて、都内の「Signifiant Signifie(シニフィアンシニフィエ)」というパンの名店に修行しに行くことに決めました。

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塚本オーナーの志賀シェフは有名な方で、パン屋業界の中で“神様”と呼ばれていました。

そこで7年間働きました。今のパンの作り方は、志賀シェフから教わったことが基本になっています。

東京で始めようと店舗を仮押さえ。丹波で開業するつもりはなかった

丹波の風景

── 東京で修業したのに、なぜ兵庫県の丹波にお店を?

塚本丹波に「cafe ma-no(カフェ マーノ)」というカフェがあるんですよ。そこの店主とはご縁があり、以前から仲良くさせてもらっていました。

Signifiant Signifieを辞めたあと、島根にある知り合いのパン屋を手伝っていて。これが終わって東京に帰ったら、自分のお店を始めようと思っていました。

手伝いが終わったあと、自由な時間がたくさんあったので、東京に戻るまでの間は丹波でゆっくりしようと思って寄りました。

そこでcafe ma-noに行って、店主と話していると、1日限定でカフェをパン屋にするイベントをしない? という話になり、私が焼くパンをそのイベントで販売することになりました。

── お話がうまく転がり始めたというか。

塚本その時に今のHIYORI BROTの大家さんがパンを食べてくれて、「お前のパンうまいから、うちの裏の倉庫をパン屋にしたらどうだ?」と私に言ってきて。

裏の倉庫が今のお店

塚本でもその時、一ミリも丹波に移住する気なかったんですよ(笑)。東京でお店を開く予定だったので、店舗の仮押さえまでしていました。

だからひとまず「え?」と回答を濁して……(笑)

あと、会社員時代の同期が丹波に住んでいて、彼が「シェアハウスを運営してるから、うちに住めば?」と言ってきて。

私は移住するなんて一言も言っていないのに、家と働く場所が決まっていって(笑)

── 周りがどんどん動いて(笑)。

塚本それで私も真剣に考えました。

というのも、東京でもネット専売でやるつもりだったので、東京でも丹波でも特に変わらないなと。しかもパンの材料を作ってくれる生産者さんも丹波の近くにたくさんいましたし。

丹波で年を越して帰る時には「次は移住してきますね!」という、不思議な帰り方をしました。

人に言われて面白そうだなと思ったら、大概やってしまうのが私の人生なんです(笑)。

月齢でパンを焼くつもりはなかった

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── HIYORI BROTでは月齢に合わせてパンを焼くと聞きましたが、どんな理由があるんでしょうか?

塚本Signifiant Signifieにいたあいだに、ドイツに行くことになって。卒業旅行で行ったパン屋に研修で行けることになったんです。

そこで、パンの粉をひく仕事をさせてもらった時に、スタッフの人から「今日は満月だから、この粉は明後日にしか使えない」と言われたんです。

全く意味がわからなくて。「ん? これは英語で聞いてるからわからないのかな?」と思いました。

塚本あとで知ったのは、それは月の満ち欠けに合わせてパンの作り方を変化させていく、“バイオダイナミック製法”というものでした。

しかし、知ったからといってこの時に「月齢でパンを焼こう!」と思った訳ではぜんぜんなくて

── え、違うんですか!?

塚本はい。丹波に来る前ですが、友人とご飯を食べていたら、ものづくりのセレクトショップを全国に展開する社長さんが私の隣に座っていて。

「ドイツでこんな面白い製法を知ったんですよ」と話したら、「お前、月齢で店をやれ」とその社長が言ってきて。

「え!いいと思いますか?」
「俺も月齢でお店をやるから、お前もやってみろ」
「わかりました、そうします!」と、とっさに返答しました。

それから私のカレンダーは西暦ベースじゃなくて月齢ベースになったんです。

── 移住と一緒で、巻き込まれてる(笑)。

塚本いつも、私の人生は自分で決めていないことに気づかされます(笑)。

HIYORI BROTの工房

塚本バイオダイナミックの考え方でいうと、月は大きい時のほうがパワーがあるので、新月の日をスタートにするといいと言われています。

ですので、新月の月齢1日から満月前後の月齢20日まではパンを焼いて、残りの10日間は月が欠けていく期間なので、インプットにあてる……つまり、旅をする期間に決めました。

── やはりパンの味が変わるんですか?

塚本それもありますが、例えば西暦で働いている人たちに「今度の日曜日に仕事できませんか?」と頼まれても、「その日は月齢的にむずかしいですね…」と断ることができます(笑)。月齢で働くのはおすすめですよ。

── いいですね、僕も休みが取れないので月齢を検討してみます(笑)。

パンと旅は、生きていることそのもの

── 旅には何をしに行くのでしょうか?

塚本イベントに出店したり、材料を使わせていただいている農家さんに会いに行って、こだわりを聞いたりしています。

農家さんに泊めてもらって、一緒に農作業したり。どういう人かわかると、パンを作る時に材料への思い入れも強くなるんですよ。

愛用のミトン

塚本あと旅に出ると、想定外の出会いもあって。新しい材料と出会ったりとか、郷土料理でこんな食べ方あるんだとか。それがパン作りのヒントにもなります。

── そうなのですね。ちなみに、パンを焼かない10日間は普通にお休みにしようと思わなかったのでしょうか?

塚本実は、パンを焼くことと旅をすることは、仕事であり、趣味であり、私にとっては生きていることそのもののような価値観です。

パンを焼いている時も旅をしている時も、仕事のようで、遊びのようで、あまり垣根がありません。

むしろ、お休みにしても、結局そのどちらかのことを考えている気がするので、今の暮らし方が私には合っているのかなと思っています。

物々交換で丹波の人とつながる

丹波の山並み

塚本あと、丹波の生活をする中では物々交換をすることが多いですね。

── どういうことでしょうか…?

塚本例えば、定食屋のような、何かを作ってる方からパンを注文された時に、「パンを焼いてもいいんですけど、お金をもらう代わりにステーキ定食3回分でどうですか?」と相談します。

すると「それでいいの? じゃあそうしよう!」と言ってくれる方が多くて。お互い原価を考えたら安いし、それでお互いの美味しいものが食べられますから、良いですよ。

── この時代に物々交換なんて、面白いですね!

塚本今では、コーヒー、ワイン、ごぼう、あと占いもパンと交換ですね。

── 占い!? じゃあそれらを買う時は財布のかわりにパンを…?

塚本そうですね(笑)。でもお店が忙しい時に、さらにパンを作るのは大変です。お金を払うほうが本当は楽かもしれないんですよ。

でも「あの人が待ってくれてるな」「この材料入れると、あの人喜ぶんだよな」と、好きな人の顔を思い浮かべながらパンを作るのは、やっぱり楽しいですね。

100歳までパン屋を続けたい!

「旅はとても楽しいけど、丹波に戻ってくるとほっとします。丹波が好きみたいです。」と語る塚本さん。

いつまでパン屋を続けたいか? と聞いてみると「100歳までパン屋を続けたいです。それからセカンドライフを楽しもうかな。」と答えてくれました。

最後まで朗らかで、どこかひょうひょうとしていて、そして丹波の人から愛される人柄が伝わってきました。

そんな塚本さんと「HIYORI BROT」を、ぜひ応援してください。

取材・編集/田中一成+プレスラボ
写真/中山和男