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23区内に田んぼが消えても、豊作の祈りは今も続く! 板橋区の徳丸・赤塚地区「田遊び」の日

現在の東京都23区内には、田んぼなんてまるで見当たりません。それでも、かつて稲作が盛んだった時代を彷彿させる民俗芸能が、今も都内で続けられているのをご存知でしょうか。それが、「板橋の田遊び」。毎年2月、板橋区の徳丸北野神社と赤塚諏訪神社の祭礼日の夜に奉納されています。

こちらは江戸時代に刊行された『武蔵野話』に描かれた赤塚田遊びの一場面。右上に「赤塚村神事牛をひきまハす図」とあり、牛を追いたてる人と牛のお面をつけた人が描かれています。
田遊びでは、種まきから収穫までの稲作の一連の作業が、所作と唱え言葉で再現されます。農作業に入る時季を前に、豊かな実りをあらかじめ祝福することにより、五穀豊穣と子孫繁栄の実現を祈るという、予祝(よしゅく)と呼ばれる民俗芸能の一種です。
板橋の田遊びは、ほぼ昔のままのかたちで伝承されている全国でも貴重な例として、国の重要無形文化財にも指定されています。
数年前に赤塚の田遊びを観ている私ですが、今年は徳丸の田遊びを観てみたい。そう思い立ち、2月11日の祭礼日に徳丸北野神社へ向かいました。

舞台や道具をみんなで手作り

都営三田線高島平駅の南口を出て、歩くこと20分。林立する高島平団地を通り過ぎ、坂道を登りつめた高台に、徳丸北野神社が鎮座します。
今では想像しづらいのですが、戦後の高度成長期に建設された高島平団地の広大な敷地は、もとは「赤塚田んぼ」「徳丸田んぼ」といわれた一面の田んぼでした。23区内で最後まで残った都内屈指の水田地帯でしたが、昭和40年代初めには団地の開発により消えてしまったのです。
徳丸・高島平地区の氏神としてその歴史を見守ってきたのが、長徳元年(995年)に創建された徳丸北野神社です。

鳥居の横には、「田遊び」の石碑がどーんと誇らしげに立っています。徳丸北野神社の田遊びは、創建以来一年も休まず千年以上も続いている歴史ある行事で、朝9時の境内には、すでに大勢の人の姿が。徳丸田遊び保存会の会員や氏子など、地元のみなさんです。

こちらが徳丸田遊び保存会の石田彪(たけし)会長。御年81歳とは思えぬ若々しさ!
「毎年、田遊びの前日から準備にかかって、その前の3日間は神社に集まって練習をする『ナライゾウ』があって、本番翌日は片付けをする『くらはやし』があるね」とのことで、保存会の人たちがいかに田遊びに時間と労力を注いでいるのかがわかります。現在30数名いる会員は世襲制で、一家に一人、男性限定という決まりです。
この日は保存会を含め100人近い人たちが神社に集まって準備中。境内は活気にあふれています。

なんだか工事現場のようですが、これは田遊びの舞台となる「もがり」を作っているところ。拝殿手前の参道脇に地面に穴を掘って丸太を立て、木材を組んで、4メートル四方の「もがり」を作ります。「もがり」は神聖なもので、女性は上がれない決まりです。

こちらは、一心に木の枝の皮を剥いでいる男性たち。手にしているのは長さ1メートルほどのニワトコの枝。神社の境内や近隣で集めてきたこの枝を使って、田遊びに使う道具の鍬(くわ)を作ります。祭礼日である旧暦正月11日を過ぎて初めて芽吹くのがニワトコの木で、その生命力にあやかっているんだとか。

おや? 境内にいい匂いが。三段重ねの蒸し器から豪快に蒸気がのぼっています。もち米が蒸し上がりました~!

次はもちろん、餅つきです。蒸したてのもち米を臼に移して、ぺったん、ぺったん、交互に杵を振り上げます。左の方が着ている保存会のジャンパーの背中には、田遊びのイラストと唱え言葉が。
真ん中の方は、手伝いに来た徳丸にある紅梅小学校の校長先生。紅梅小学校では小学生の授業の一環として田遊びを保存会に指導してもらっているそう。保存会のメンバーも、ほとんどが紅梅小学校のOBなんですって。

美味しそうなつきたてのお餅!と思いきや、丸めた餅にさっきのニワトコの枝をぐりぐりと差し込んでいます。これが田遊びで使う鍬で、全部で28本作ります。お餅は道具の材料だったんです。
それにしてもみなさん、和気あいあいで楽しそうですね? と訊けば、「みんな気持ち知ってるからね」とこちらのご婦人。一年に何回かはお祭りや行事で集まっているそうで、チームワークもよろしいわけです。

どんどんもち米を蒸しては、餅つき。なかなか終わりません。その量なんと一俵=60キロ! 無事に道具を作り終えた後は、残りの餅を大根おろしであえた「からみ餅」が、みんなにふるまわれました。

一方、社務所を覗いてみると、和室で小道具作りチームが作業中。この男性は手足を使って器用に麻縄を綯(な)っています。麻縄はさまざまな道具につける紐として使います。

こちらは田遊びに登場する人形、その名も「よねぼう」。毎年新調するものではないので、色を塗って修理中。その塗っている部分はといえば、え? 手足じゃあないって? 正解は、並みはずれたサイズの男性器(!)。だからこそ、五穀豊穣と子孫繁栄を祈る田遊びに欠かせない「よねぼう」君なのです。

完成した小道具の一部です。上から、農具の「鎌」と「朳(えんぶり)」、楽器の「簓(ささら)」、魔除けの「破魔矢(はまや)」、紅白の梅と松の小枝。狐が描かれた絵馬に見立てた紙や、青竹などで作られています。紙を巻いた部分は「よねぼう」と同じく、赤・緑・黒で彩色されています。

さて、準備作業は午前中でひととおり終了。婦人会「徳丸平和会」が用意したお昼ごはんを、みんなでいただきます。なかでも油揚げの炊き込みご飯は、毎年お決まりのメニュー。さっきお餅を食べたばかりなのに、パクパク食べてしまう美味しさ。腹ごしらえが済んだら、いったん解散となりました。

陽の落ちた境内が熱気に包まれる

夕方、保存会のメンバーは着物に着替えて再び神社に集合。「もがり」の上には、田遊びの道具がスタンバイ。中央に置かれた大きな和太鼓は、田遊びのとき田んぼに見立てるものです。

「もがり」の四隅には竹を立てて注連縄(しめなわ)を巡らし、高張提灯(たかはりちょうちん)が立てられています。午後5時からの拝殿での神事も終わり、だんだんと陽が暮れてきました。いつのまにか、「もがり」の周りには見物の人垣が出来ています。
そして午後6時、いよいよ田遊びの始まり始まり~。

「もがり」に装束を着けた保存会のメンバーが登場。前方で烏帽子(えぼし)を被っているのが「大稲本(おおいなもと)」と「小稲本(こいなもと)」と呼ばれる主導役。大稲本は保存会会長の石田さんです。その他のメンバーは「鍬取り」と呼ばれます。
「よ~うよう、なんぞうどの」
大稲本が唄うような節回しで問いかけると、
「よう」
と一同が答えます。
その意味は? 昔々から口伝えで伝えられてきた唱え言葉なので、保存会の人たちにもよくわからないそう。こうして唱え言葉を掛け合いながら、苗代の数を数え、田をならし、種蒔きをして……と、稲作のさまざまな場面が進行していきます。

大稲本と小稲本が簓をすり合わせて鳴らしています。種蒔きした田んぼを荒らす鳥を追い払う「鳥追い」の場面です。

一同で鍬を担いで田んぼに見立てた太鼓の周りを回っています。田を掘り起こす「春田うない」の場面です。

お面をつけた「牛」役の背中に餅で作った鞍を乗せて、「田かき」をする場面。水田の土の塊を砕いて田植えの準備をする作業です。

「田植え」の場面では、一番の人気役者「早乙女(さおとめ)」役のチビッコ4名が登場。太鼓の上に乗せて高く胴上げされて、うれしそう。ここぞとばかりにフラッシュがたかれます。早乙女、通称「田遊びっ子」は、毎年保存会会員の身内の男の子から選ばれているそうです。

田植えの後の「呼び込み」では、闖入者が続々登場します。
見物客の間を割って出たトップバッターは、あの人形「よねぼう」君。周囲の女性たちがキャーキャー言いながら、人形のある部分(お分かりでしょ?)に手を伸ばします。ハイ、子宝のご利益ですね。

続いて、「安女(やすめ)」と「太郎次(たろうじ)」の夫婦者がイチャイチャしながら登場。コミカルな演技に笑いが起こります。安女は妊婦さんで、見物客たちにお腹をなでてもらいます。
その後も獅子や駒、破魔矢などが勢いよく出てきて、会場を沸かせます。

その後も場面はどんどん進行し、稲穂が順調に成長して「稲刈り」の場面が済むと、フィナーレの「稲むら積み」です。太鼓の上に田遊び道具一式を積み上げて(てっぺんに「よねぼう」が鎮座!)、一同で賑やかに豊作を祝います。最後は手締めをして、2時間にわたって繰り広げられた田遊びの幕が閉じました。

田遊びが終わると春が来る

田遊びの後、「直会(なおらい)」と呼ばれるお祭りの後の打ち上げの席で、会長さんから「昔は、田遊びが終わると春が来ると言われたもので……」との言葉がありました。
稲作を中心に人々の生活やコミュニティが営まれていた時代、田遊びは、地域の人々が一丸となって豊かな実りを得るための大切な行事だったでしょう。でも、田んぼが消えて50年がたった今も、田遊びがこんなに盛大に続けられているのはなぜなんでしょう?
「田んぼがなくなったからといって、徳丸の人たちの絆は簡単になくなるものじゃなかったということかもしれない。逆に今は、田遊びがあったからこそ、地域の連帯感が保たれたんだと思う」ということを、保存会の方が言っていました。
大規模開発により田んぼが消え、徳丸の人たちの暮らしは一変したことでしょう。これは想像ですが、その変化が彼らに同時にもたらされたからこそ、以前と同じように田遊びをすることで、共通の戸惑いや喪失感を慰め、以前の暮らしの記憶を共有しようとしたのかもしれません。
「よ~うよう、なんぞうどの」
千年以上もの間、春の先触れのようにこの地で唱えられてきた言葉。昔のままに伝えられるその響きを思い出しながら、帰り道にそんなことを思ったのでした。

写真協力:東京都板橋区

中尾千穂

中尾千穂

編集者、ライター

神社、祭礼、工芸、着物など日本の伝統文化の分野で取材執筆活動を行う。海外サッカー雑誌の編集部に在籍した過去も。取材では京都・奈良・伊勢方面に頻繁に出没、プライベートでは島・半島巡りを好む。
中尾千穂

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神社、祭礼、工芸、着物など日本の伝統文化の分野で取材執筆活動を行う。海外サッカー雑誌の編集部に在籍した過去も。取材では京都・奈良・伊勢方面に頻繁に出没、プライベートでは島・半島巡りを好む。