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ジャズ×盆踊り?!個性あふれるイベントオーガナイザーを直撃!

まち冒険の読者の皆さまは、神奈川県横浜市というと、どのようなイメージを持っていますか?
港町?ハイカラ?中華街?今回は、「フィールズプランニング」代表の笠原彰二さんのインタビューを通して、知られざる「濃い横浜」をご紹介します!

笠原彰二さん
「フィールズプランニング」代表。神奈川県横浜市を拠点に、文化芸術やまちづくりなどをテーマにイベントの企画、制作、ディレクターなどを一手に手がけています。

まずは、神奈川県横浜市について改めてご紹介。
横浜市は神奈川県東部に位置する都市で人口約370万人、18区の行政区からなっています。
その昔、「横」に「浜」が伸びていたから「横浜」と名付けられた、とりたてて取り柄のなかった横浜”村”は、ペリー率いる黒船の来航で状況が一変。
わずか数十年の間に横浜”区”から横浜”市”へと急成長を遂げ、西洋のいわゆるハイカラな文化が横浜を通して関東へ、日本へ広まっていきました。
戦後は港湾施設や市街地など、かなりの面積を米軍に接収され復興が遅れます。
しかし、そのおかげで明治時代と同様に西洋の流行が横浜から発信されるきっかけにもなったのだそうです。

▲神奈川県全体の地図です。オレンジ色が横浜市、今回のお話に登場するのは地図上で赤くなっている中区というところ。

今回のインタビューの舞台となる横浜市中区は、「中区」というように横浜が”村”だった時からの中心地域。

  • 市庁や県庁、横浜スタジアムなどがある関内エリア
  • 東アジア最大級の中華街のある中華街エリア
  • 異国情緒あふれるショッピングストリートがある元町エリア
  • 戦後の闇市で栄えた野毛エリア
  • 簡易宿泊所が立ち並び、いわゆる日本三大ドヤ街のひとつである寿町エリア
  • 街の大半を米軍に接収されたことで、アメリカ文化を色濃く受けた本牧エリア

直線距離にして4キロほどのところで、こんなに個性豊かなエリアがひしめき合っています。

▲図にするとこんな感じです。個性強すぎる街がまるでエスプレッソのように狭い範囲にギュッと凝縮されています。

と、簡単な概略を終えたところで、笠原彰二さんのお話を伺っていきたいと思います!
企画団体「フィールズプランニング」を立ち上げたきっかけとは?

「もともとはミュージシャンで、レコード会社とも契約しデビューしましたが、産業的音楽に疑問を感じたこともあって、2年でバンドは解散してしまいました。
その後は作曲活動を行っていましたが、ある時、音楽業界から一度離れてみようと思い、裏方に回るイベント関係の仕事を始めたのです。
仕事の中で耳の不自由な方のための音楽イベントのディレクターをしたことがきっかけになって、人の役に立つことや社会貢献など、お金ではなく『誰かのために』活動していこうと思いはじめました。
また、イベントの規模も大規模なものではなく、街や人に密接したイベントにフォーカスを当てていこうと思いました。

そんななかで市の推進する空き店舗改修事業と関わることになり、飲み仲間だった現代美術のアーティストと、女優との三人で『似て非work株式会社』というアートユニットを結成。
4階建ての古ビルをアートスペースに改修して新たな活動を開始しました。
そこではアーティストの方々と人と街との結びつきを考え、いつものスタイルとは違う形での作品発表をコンセプトにし、実施、運営をしていました。ただ企画以外にまつわる管理や運営が大変で、一度体調を崩してドクターストップがかかってしまったんです。それがきっかけで私はユニットを退く形をとり、もっと身軽に創作活動ができるように現在の『フィールズプランニング』を立ち上げました」

「創作することで人の感性を震わすことが好き」と語る笠原さんは「ジャズDE盆踊り」など特色あるイベントにも携わっています。

「『ジャズDE盆踊り』は横浜の野毛という地区で開催しました。
野毛は1933年に開店した現存する最古のジャズ喫茶、「ちぐさ」があるまち。ここは日本のジャズの始まりとも言われていて、ジャズとの関わりが非常に深い地域なんです。そこに日本でも著名なミュージシャンを招いてジャズにあわせて盆踊りを踊ったり、ビアガーデンを開催したりして2日間で1万人以上の方にご来場いただきました」

▲これがジャズ×盆踊り!一見すると全員出演者に思えるこの一体感は、その街の特色をベースにしたからこそ。

「また過去には『コマツナイト』というイベントも開催したことがあります。実は横浜って全国でも珍しい、農地と都市部が密接した地域。小松菜の生産量は日本トップクラスなので、そこにフィーチャーしたイベントをシェフたちと企画しました。
小松菜に限らず過去には生産農家さんと横浜野菜や食を扱ったイベントやマルシェも数多く行いました」

▲「コマツナイト」や横浜の食を扱ったイベント、そして音楽やパフォーマンス、映像を使ったイベントなど多種多様なイベントを企画されています。フライヤーもすべて笠原さんが手がけたもの。

このようなイベントだけではなく、印刷物の制作、お店の内装のデザインや看板(!)など幅広い活動をされています。
そしてさらに、閉館した映画館の再利用計画という、大がかりなプロジェクトも現在進行中なのだとか…

「本牧という地域に映画館があったのですが、数年前に閉鎖してしまいました。ですが、取り壊されることもなく、ずっと放置されていたので、気になっていたんですよ。
そこで、以前同じ地区でアートイベントを行った際に持ち主に直接交渉したところ、3日間だけ貸してくれたんです。かつての映画館が再び開いたことで街の人たちも感動されていたのがすごく印象的で、今後も継続していきたいと思っていました。
そうしたら、持ち主側からも活用してほしいというお話が。
施設名をHONMOKU AREA-2とし、新たに任意団体を立ち上げて、現在様々な形で事業化に向けた試験運用を行っています」

▲廃墟だった映画館が「HONMOKU AREA-2」として再出発するきっかけとなった本牧アートプロジェクト2014。もはや別世界のような雰囲気。

▲現在、笠原さんが代表を務める団体「HOCS」を通じて、一般の方も施設の利用を希望できるそうですよ!

クリエイティブな発想と多種多様な企画を通して、横浜のまちに活気を生み出してきた笠原さん。
今後はどんな展望をお持ちなのでしょうか?

「横浜の特色である『港』があることと、先ほどお話した『野菜』、その2つをあわせたことを企画したいと考えています。
例えば、客船で来日したイスラム圏の方々も食べることのできるハラル料理を、横浜野菜の素材の味を活かした日本の精進料理のような形で提供できればいいですね。
今後は横浜に限らず他の地域でも活動の場を広げていきたいです」

井出悠哉

井出悠哉

株式会社ANANTA 代表取締役

1987年神奈川県横浜市生出身。立教大学映像身体学科卒業。 高校時代に一部から「ガイコツ」と呼ばれていたが、大学在学中にコンテンポラリーダンスを専攻し90分間ジャンプし続けるといった破天荒な授業を受けたことで、心身ともにある程度鍛え上げられる。大学卒業後は宮崎県日之影町に「地域おこし協力隊」として赴任、その後フリーライター、デザイナーを経て、会社を設立。現在、株式会社ANANTA代表取締役に就任。
井出悠哉

井出悠哉

株式会社ANANTA 代表取締役

1987年神奈川県横浜市生出身。立教大学映像身体学科卒業。 高校時代に一部から「ガイコツ」と呼ばれていたが、大学在学中にコンテンポラリーダンスを専攻し90分間ジャンプし続けるといった破天荒な授業を受けたことで、心身ともにある程度鍛え上げられる。大学卒業後は宮崎県日之影町に「地域おこし協力隊」として赴任、その後フリーライター、デザイナーを経て、会社を設立。現在、株式会社ANANTA代表取締役に就任。