「木を育てること」で食っていく!元村長の父から受け継いだ“現代版木こり”のチャレンジとは?

古くから農業や林業など、豊かな自然と共存しながら暮らしてきた茨城県常陸太田市の里美地区。
専業の林業経営者は全国的に減少し、里美地区でも今や残り2軒となってしまいました。

父から受け継いだ木や林を守り、自然と共存しながら生計を立てることに挑戦する荷見信孝(はすみのぶたか)さんに、山林や林業への思い、今後の挑戦について伺いました!

「木を育てること」に誇りを持つ“育林家”

荷見
今は伐採したらそのまんまという人が多いんですけど、伐るだけじゃなくて、植えて育てることをしっかりやれば、林業できちんと生活は成り立つんだということを証明したいんです。林業で成功している人がもっともっと出てきてほしいですね。

そう力強く話す荷見信孝(はすみのぶたか)さん。
自らを林業家ではなく育林家と呼ぶ荷見さんは、時間をかけて“木を育てること”に誇りをもっていると話します。

林業発展のため常陸太田市林業研究会の会長や森林組合の理事なども務める荷見さん

林業発展のため常陸太田市林業研究会の会長や森林組合の理事なども務める荷見さん

荷見さんの父親は、かつて林業経営で“農林水産大臣賞”を受賞。
2004年に常陸太田市と合併する以前の旧里美村において村長も務めた方でした。
林業で得たお金をほかの不動産開発に使う人が多かった時代、自分たちの将来を考え、自分が所有する山に投資した数少ない人だったといいます。

荷見
父のおかげで今でも私は林業で食べていけるんだと思っています。ただ山があるだけでは仕事にならないんですよね。父は、林業で得たお金で林道や作業道をつくり、どうしても崩れてしまいそうなところは、コンクリートで補強工事を行うなどして後世に残してくれました。

専業はわずか2軒!林業を成立させる「ビジネスモデル」とは?

荷見さんは林業に携わる前、東京にある病院で医療事務の仕事に就いていました。
35歳のころ父親の病気をきっかけに故郷の里美に戻り、現在は地元でも残り2軒となってしまったという専業の林業経営者として奮闘しています。

下枝伐採、幹の太さが統一されてしっかりと手入れが行き届いた荷見さんの山林

下枝伐採、幹の太さが統一されてしっかりと手入れが行き届いた荷見さんの山林

荷見さんが所有している山林は全部で10ヶ所ほどで、植えられているのはほとんどが杉と檜。
木を伐採する若い人材は育っている反面、地元の山林所有者が土地を離れ、材価も安くなり、林業を取り巻く環境はなかなか厳しいと教えてくれました。

荷見
親父には林業を継ぐときに「山になっていればいいから」って言われたんです。でも、実はそれが一番難しい…。ずっと安定した山でいるためには、陽の光とか風とか、水の流れとかを細かく見なくてはいけないんで…。病気も気にしなくてはいけません。とにかく山をよく見ることが大事なんです。
ご自身で管理する山林を見回しながら、一つひとつ丁寧に説明してくれた荷見さん

ご自身で管理する山林を見回しながら、一つひとつ丁寧に説明してくれた荷見さん

毎年1ヘクタールあたりに植林するのはだいたい3,000本。
そのうち売り物になるのが1,000本ぐらい。
植林する場合の木と木の間隔は、雪害などを考えて1.8メートルに調整。
陽の光がきちんとあたるよう年中下草を刈りながら、間伐を10年おきに行い、樹齢80〜100年程になった木を出荷しています。

荷見
天然林だったところを人工林にしたら、どこまでいっても人工林なんです。一度、人間が木を植えてしまったら、最後まで面倒をみなくてはいけない。杉や檜は、一度植えて放ったらかしにしちゃうと土砂が流れてしまう危険性があります。残念ながら、里美にもそういう山が増えてしまっているんです。

生前、荷見さんの父親が目指していたのは、100ヘクタールの山で一つの家族が生活できるモデルパターンをつくること。

荷見
50ヘクタール、1,000ヘクタールの山林を所有して成功している人ってあまりいないんですよ。1,000ヘクタールになると税制面で厳しいのと、一人で回せないので人を雇わなくてはならない。だから、すべて一人で回せて税制面でそこまで不利がない100ヘクタールぐらいがちょうどいい広さだと親父は考えたんだと思います。
ご自宅の居間に置かれていた荷見さんの山で育った檜から作られたベンチ

ご自宅の居間に置かれていた荷見さんの山で育った檜から作られたベンチ

林業は長い目が必要。なんとなく子育てに似ている。

広い敷地の草刈りや建物の手入れで大変な面があるという里美での暮らし。
ただ、家族と過ごす時間が持てるのがとても嬉しいのだとか。
朝早く山に入り、日が沈む前に仕事を切り上げて自宅で家族一緒に夕食を共にする。
そんな何気ない日常を大切に感じているのだといいます。
東京で医療事務をしていたころは残業も多く、ストレスで体調を崩したこともありました。

荷見さんのお住いは里美の豊かな山を背にする築120年の古民家

荷見さんのお住いは里美の豊かな山を背にする築120年の古民家

荷見
この仕事は、医療事務をしていたころのように、ほかに代わりがきかないんですよね。農業ってやろうと思えばなんとかできると思うんですけど、山主ってやろうと思ってもなかなかできないんですよ。お金を払って広大な山を買い集めないと、林業だけでは生活できないので…。

「山主は長くやらないと楽しくない」そう話す荷見さんが取り組む林業という仕事のやりがいについて伺ってみると…。

荷見
里美に帰ってきたころに手入れしていた木が、10年経って見違えるほどに成長しています。なんとなくですけど、子育てに似た感覚かもしれません。年々楽しくなるというか、喜びが大きくなるというか…。林業はそういう仕事だと思います。もちろん大変なことはあります。でも、自分で考えて自分なりの山をつくることができる。それってすごく魅力ですよね?

70歳以上の大先輩たちが「あれは俺が高校のときに植えたんだ!」って誇らしげに教えてくれる姿をみて、自分も誇らしく感じるのだといいます。

日々の仕事以外で大切にしているのは家族と一緒にゆっくりと過ごす時間

日々の仕事以外で大切にしているのは家族と一緒にゆっくりと過ごす時間

自分を一人前にしてくれた林業。「成功できる」ことを証明したい。

5人兄弟でそれぞれ兄と弟がいると教えてくれた荷見さん。
取材の最後に、東京で働いていた荷見さんが家業である林業を継ごうと決心した理由を訊ねると、しばらく考えてからこんなふうに答えてくれました。

荷見
林業は自分を一人前にしてくれた仕事だと思っているんです。この仕事の売り上げで私は大学まで行かせてもらったし、そう軽々しく捨てるものじゃないと思ったんです。だって、生まれた場所で自分を一人前にしてくれた仕事ができるって幸せじゃないですか?それって一握りの人しかできないことだと思うんです。
案内してくれた山林で両手を添えて幹の硬さや太さを確かめる荷見さん

案内してくれた山林で両手を添えて幹の硬さや太さを確かめる荷見さん

父親が残してくれた林業で経済的にもちゃんと成功できていることを証明したいと力強く話す荷見さん。
そうすることで林業への注目が高まり、若い世代にも林業にチャレンジする人がもっと増えるのではないかと考えているのです。

最盛期には数10軒が専業で営んでいたという里美の林業。
現在、残りわずか2軒となってしまった里美の林業を必死に支えている荷物さんの挑戦を一緒に応援しませんか?

小林 弘和

小林 弘和

WEBディレクター/ライター・編集者/地域プロデューサー

WEB制作会社勤務時代に移住・交流を応援する官公庁系WEBメディアのサイトを運用。北海道から鹿児島まで様々な地域で活躍する移住者や取り組みを取材。現在、企業サイトや自治体サイト制作のほか、地元でもある茨城県常陸太田市里美地区の地域WEBメディアを運営。その他、野外映画などの地域イベントも企画。東京と茨城の2拠点で活動中。
小林 弘和

小林 弘和

WEBディレクター/ライター・編集者/地域プロデューサー

WEB制作会社勤務時代に移住・交流を応援する官公庁系WEBメディアのサイトを運用。北海道から鹿児島まで様々な地域で活躍する移住者や取り組みを取材。現在、企業サイトや自治体サイト制作のほか、地元でもある茨城県常陸太田市里美地区の地域WEBメディアを運営。その他、野外映画などの地域イベントも企画。東京と茨城の2拠点で活動中。