花屋が勇気をもらった3つの言葉

日本最大の高層湿原として知られる尾瀬国立公園。
その麓に片品村(群馬県利根郡)という人口4600人ほどの村があります。

豊かな自然に囲まれたこの村に花屋は1軒だけ。

お店の名前は、「朧月(ろうげつ)」

婿入りというかたちで村に移住してきた星野学さんが、2014年9月にオープンした花屋です。

星野
実家が埼玉県熊谷市で「大扇」という園芸店をやっていて、物心ついたときから生活の中に花が当たり前にあった。小学校4年生のとき、親父に「花っていうのは人に夢を与えるものなんだ。決して裏切ってはいけないんだ」と言われて。それからずっと、将来の夢は花屋でした。

花っていうのは人に夢を与えるものなんだ。決して裏切ってはいけないんだ

現在は、花の楽しさや魅力を伝えるために、各地で年間120回程度の園芸講座を行うほか、標高の高い片品村の冷涼な気候を利用して、草花の生産も行っている星野さん。
地域を盛り上げる活動にも積極的に取り組んでいます。

移住当初は未来に希望を感じられず、挫折や虚無感を感じることもあったといいますが、気づけば村の若い人たちからは「アニキ」と呼ばれ、頼られる存在に。

いったいどうやって地域で仕事をはじめ、地域のアニキと呼ばれる存在にまでになっていったのか。
花屋のこと、地域のこと、片品村で等身大に暮らす星野さんにお話を伺いました。

2014年9月にオープンした「朧月(ろうげつ)」。店の名前は義父が使っていた雅号から。外看板や店内のテーブルなどは、地域で知り合った職人さんにお願いしたといい、ほとんどがメイドイン群馬

2014年9月にオープンした「朧月(ろうげつ)」。店の名前は義父が使っていた雅号から。外看板や店内のテーブルなどは、地域で知り合った職人さんにお願いしたといい、ほとんどがメイドイン群馬

花が飾られる場面を想像して育てる。何もない村だったから生まれた花屋の6次産業化のアイディア

幼い頃から花屋を目指していた星野さんは、高校卒業後、園芸専門学校に進学。
修了後すぐに働くつもりだったといいますが、希望していた就職先が経営的に頓挫。
悩んでいたところを学校から誘われ、そのまま職員として残ることに。

じつは、この決断が星野さんにとって人生の大きなターニングポイントとなります。

星野
思い返すと、人に何かを教える・伝えるというイロハを学ぶことができた。この経験が今の園芸講座にも生きている。
それに、じつは僕が2年目のとき、同じく学校の卒業生だった妻が職員として入ってくるんです。そこで妻と出会ってなかったら、僕は今、片品村にはいないし、朧月という店もなかったでしょうね。

この出会いをきっかけに結婚を決めると、専門学校の職員を3年で退職。
造園の世界での修行を経て、片品村に婿入りというかたちで移住を決めます。

星野
初めて片品村に来たときは「何もない」というのが第一印象。当時の村の人口は6100人くらい。隣町をいれも1万人強で・・・。妻にも、妻の実家にも「花の仕事は続けさせて」と伝えていたのでお店をやろうと思っていたんですけど、その選択肢はありませんでしたね。
畑を案内してくれる星野さん。取材に伺ったのは11月で草花の数は少なかったが、夏場を中心に多品種適量で生産を行っているそうです

畑を案内してくれる星野さん。取材に伺ったのは11月で草花の数は少なかったが、夏場を中心に多品種適量で生産を行っているそうです

花屋として暮らしていくためには、小さな村。
一度は店を諦めて、星野さんは「できることから」と花の生産の仕事を始めます。
そうはいっても、本格的に花の生産をするのは初めてのこと。
最初の3年間は実家で生産も行っている父に教えを請いながら取り組んだといいます。

星野
親父が「お客さんが外に植えるものは、外で作れ」という人で、僕もそれが利にかなっていると思ったから、畑にはハウスがない。だから片品村だと、夏場は花を生産できるけれども、積雪のある冬から春は難しい。冬のあいだ、何もしないわけにもいかないので、実家の店なんかを中心に園芸講座を始めたんです。花屋をオープンできない分、自分が行った先が花屋になればいいなと思って。

花の育て方を教えたり、魅力を伝えたりする講座を通して、星野さんは「つくる」「売る」という従来の花屋のかたちから、自身の花屋業を「6次化」していきました。

片品村という環境の中で、できることを模索したからこそ、たどり着いたかたちです。
もし最初に違う場所で花屋を開いていたら、「花を売る」というだけで終わっていたかもしれない、と当時を振り返ります。

朧月の店内で。冬場は花が少ないというが、この日は結婚式での仕事を控え、店内は色とりどりの切り花でいっぱいだった

朧月の店内で。冬場は花が少ないというが、この日は結婚式での仕事を控え、店内は色とりどりの切り花でいっぱいだった

未来が見えない時に光を与えてくれた、地元高校生の「片品村が好き!」という言葉

婿入りというかたちで片品村に移住してきた星野さんは、意図せずに地域活動の場にも顔を出すことに。

当時は知り合いもいない中で、60〜70代が仕切る場に1人で出ていき、どうにもならなくて苦い経験もたくさんあったそう。
ずっと身近に相談できるアニキみたいな人がほしいなと思っていたといいます。

星野
この頃は、片品村のことを良くいう人がまわりにいなくて、村に未来を感じることができなくなっていたんです。それもあって、地域の仕事って嫌だなと思い始めていて。
そんな時期に地元の尾瀬高校で話す機会をもらって、生徒たちを前にまず「地元のこと、好きかい?」って聞いてみたんです。
そうしたら、「片品村が好き」「残りたい」という人がとても多かった。
その声に僕は勇気をもらいましたね。

自粛ムードでも花屋を続けられたのは「こんな時だからこそ、お花が力をくれるのよ」というお客さんの言葉

もう1つの転機は、2011年3月11日に日本を襲った東日本大震災。

星野
発災した3月はちょうど卒業式・入学式のシーズン。
しかし日本中が自粛ムードに包まれたこともあって、花などは注文数が大幅に減った。
僕もこのときは、もう花の仕事は辞めてほかの仕事をするしかないという考えがよぎった。
そんなとき、ガソリンもない中で来てくれたお客さんが「こんな時だからこそお花が力をくれるのよ」という言葉を掛けてくれて。それがほんとうに支えになった。

震災をきっかけに、村でも南相馬市の人を受け入れたほか、ボランティア団体ができていきます。
それまで星野さんが属していた集落や花屋界隈のコミュニティとは違う、新しい出会いがそこから生まれていったといいます。

2015年11月に群馬県高崎市の弁天通り(弁天ワッセ)で行われた「オゼマルシェ&ナイト」。尾瀬新鮮組と地域起こし協力隊、尾瀬ガイドなどが参加し、片品村の農産物のPRと販売、尾瀬の紹介などが行われた

2015年11月に群馬県高崎市の弁天通り(弁天ワッセ)で行われた「オゼマルシェ&ナイト」。尾瀬新鮮組と地域起こし協力隊、尾瀬ガイドなどが参加し、片品村の農産物のPRと販売、尾瀬の紹介などが行われた

仲間と出会い、広がる横のつながり。

星野
地域に引きこもっていた僕が、どんどん他のエリアに出て行くようになって。例えば、群馬県北部などの新しい地域で園芸講座を始めたことをきっかけに、「北毛茶会」というゆるやかなコミュニティに参加するようになりました。

「北毛茶会」とは、集まってただお茶を飲むというゆるやかなコミュニティ。
徐々に参加者らがやりたいことを持ち寄るようになり、そこから派生イベントが生まれていくようになったといいます。

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星野
僕はその中の「北毛草会」というプロジェクトで日本の和綿を育てたり、藍染め作家さんとコラボして「北毛染会」を開いて藍を育てたり。こういう活動を始めてみて、花屋さんじゃないところに、花の需要があるってことが見えてきた。カフェやガラス工房でお花の講座をしたり、雑貨屋さんにお花を置いてもらったり、旅館の植栽をする仕事だったり。

多世代・多業種を巻き込んだ活動は、花屋としての星野さんを後押しするだけではなく、群馬県北部や片品村という地域にも活気を生み出していきます。

星野さんが仲間と組織した「尾瀬新鮮組」は、片品村を中心にした20〜30代の農家の集まり。
構成メンバーの大半がI・Uターン者という尾瀬新鮮組は、それぞれが前職やほかの場所で培ったスキルを生かして、片品村での新しい暮らし方を実践しています。

例えば、六本木アークヒルズマルシェなど都心部のマルシェに出店し、いったいどんなものが売れるのかを研究したり、野菜のネット販売をはじめて、全国各地に直販できる仕組みを作ったりするなど、新しい風を片品村に吹き込んでいます。

2013年に「渓山荘」(群馬県利根郡川場村)で行われた「北毛染会」の参加者らと

2013年に「渓山荘」(群馬県利根郡川場村)で行われた「北毛染会」の参加者らと

「失敗したっていい。チャレンジしよう!」40代に入り、今度は自分が若手の挑戦を支える側にまわる

星野さん自身が村に移住してきたときに欲しかった「アニキ」という存在。
さまざまな年代・地域の人と関わりをもち、その声と声をつなげていくことで、新しいことが生まれていく。
そんな仲人のような役回りをしているうちに、いつのまにか自分が若者から頼られる「アニキ」になっていたといいます。

地域でのさまざまな活動が軌道に乗り始めた頃。
星野さんは奥さんの退職をきっかけに、2014年9月に初の店舗「朧月」をオープンします。

一度は諦めた花屋のオープンが叶った今、星野さんが話してくれた次の目標は「地域の未来のこと」でした。

星野
今は幸いにして、僕と一緒に活動してくれる仲間がいるけれど、僕も来年40歳。
これからは僕らの世代は、次の世代を見守れるような「中年」になっていければいいのかなと思っている。

ちょうど今、20代の若い子たちが出てきて新しいことを始めようとしている。
そんな子たちを全力でサポートできるような、そんなことに取り組めたらいいなぁと。
そして地元に住んでいる人も、帰ってきた人も、移り住んできた人も、若者も、年配者も、中年も、ワイワイと暮らしを楽しめるようにしていきたい。

片品村で今、活躍を始めているのは、ちょうど星野さんが尾瀬高校で講演したときに「地元が好き」「残りたい」といった子どもたち。
「誰だって失敗するし、間違うし、僕はそういうことをいっぱいさせてもらった」と星野さん。

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星野さんは今、片品村のお花屋さんとして、
「この村がみんなに夢を与える場所」になっていくように、若いチャレンジを支えようとしています。

今後、この群馬県の小さな村がどんな未来を創っていくのか。

ワクワクが今から止まりません。