岩美町、デザインリサーチ

<目次>
0.プロローグ
1.どんづまりハウス(山田恵利華さん)
2.岩井窯(山本洋さん)
3.農家(川西智広さん)
4.cafeニジノキ(川元壮一さん)
5.道の駅 きなんせ岩美
6.エピローグ

0.プロローグ


 岩美町の旅から東京に戻ってから、もう1週間が経とうとしている。余韻がかすかに漂うまで落ち着いたいま、改めて今回の旅を思い返そう。とは言っても、こうした回想は東京に戻ってから、一緒に行った仲間や周囲の友人ともしていたのだが。
 何よりもまず先に伝えておきたいことは(それは自分にも言い聞かせることだ)、僕が今回の旅で感じた岩美町はほんの一部である、ということ。少し覗かせてもらった。そんな感覚。悔しいことではあるが、それら全部を綺麗に言葉にすることは、今の僕にはできない。それほど沢山のそして多様なヒントや気づきをもらった旅だった。

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1.どんづまりハウス

 岩井地区から横道に逸れ、山中へ入っていくとあるのが鳥越集落である。かつては数十名の集落であったが今はわずか7名の高齢者を残すのみとなった。元は行政からの要請で1997年にはじまったのがどんづまりハウスだ。昔から「海」が表に上がることが多かったのか、人々にあまり馴染みのない山菜料理を振る舞うのが主な目的であったらしい。高齢化により続けていくことが困難となり一度は閉店したハウスは2年間ほぼ空き家となっていた。そんな中で地元の有志はじめ、地域おこし協力隊が新たな担い手となって2013年7月より再生活動をスタートさせた。

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『感じのいい暮らし、やま』
 山田恵利華さんは再生活動に積極的に取り組んでいる新たな担い手の1人だ。家族で鳥取市街地から岩美町に引っ越してきたことを機に、父やその友人と再生活動をはじめたという。
 「Joyfulのお米はもう食べられない」という恵利華さんの言葉が印象的だった。お手製のおにぎりをみんなで食べているときのことだった。ここで作られたお米がおいしすぎて、ファミレスに行ってもお米は食べなくなったという。坂の途中にあるどんづまりハウスから少し下ったところに田んぼがあり、そこで1からお米を作っている。ハウスの横には畑があり、ブルーベーリーや獅子唐が育てられていた。春には山で山菜が採れる。山から引いた水でイワナを飼っている。ジビエ料理も振る舞われる。
僕は獅子唐の天ぷらが一番の感動であった。横の畑で採らせてもらったもぎたての獅子唐である。僕はこれこそが「感じのよさ」であると想っている。自らで育てた食材を自らで料理して食べ、それが自分の身体をつくっている。自然との繋がりを直に実感できる暮らしがそこにはあった。悲しいかな、この実感は都市に生きる人々にはもはやないのではと思う。その失われてしまった感覚が、この山の暮らしにはまだ息づいている。今ではあまり聞かなくなった言葉かもしれないが、そうした営みのことを、「風土」というのではないかと僕は想う。地元の人にとっては「当たり前のこと」かもしれない。だけれども、その感覚は本来の僕たちに必要な感覚なのではないかと。その意味で、「岩美のやまとその暮らし」はやはり地域に固有の価値なのではないかと、希望を持ったのである。

2.岩井窯

 アポイントなしでの突撃訪問となったのが、岩井窯です。ものづくりやデザインに関心がある僕にとってはとても貴重な訪問となりました。(大学でお世話になっている先生が民藝の研究をしていることもあり、なおさら心が躍ったのです。)あいにく、ここ岩井窯を開いた山本教行さんはお仕事でイタリアに出張されていましたが、実の娘さんと婿入りした山本洋さんにお話を伺うことができました。

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『暮らしの道具』
 結婚してしばらくは、元の仕事を続けていたという洋さん。しかし岩井窯の器が我が家でも使われる暮らしをする中で、自分でも作ってみたいという想いが芽生えたという。
「炊飯器も便利だけど、岩井窯の土鍋で炊くごはんはやっぱり美味しい」と話していました。実際に使われている土鍋を見せて頂きましたが、底に出る独特のヒビやくすみは魅力的な経年変化だった。新品である売り物と比較するとそれは一目瞭然。ヒビが細かく出て来ても、手入れをすることで長く使えるものになる。「まだ幼い子どもたちにもやきものの器を使わせている」と奥さんが話していました。その理由を尋ねると、「割れてしまうから、大切に扱おうと想うんです。それを子どもたちにも感じてほしい」という。
 どんづまりハウスで感じたような岩美町の「風土」はこうした暮らしの道具をつくり、そして使う岩井窯にも息づいていると感じた。限られた陶土しか採れないという現実はあれど、これもまた「やま」の資源あってのことだと想う。
 ちなみに、岩井窯のうつわはCaféニジノキでも使われている。こうした地域内での繋がりは何だかすごく大事な気がしている。
 
『民藝運動と岩井窯』
おまけ的で、稚拙になってしまう民藝との係わり。民藝を知らない人に向けてこの岩井窯の稀有性や重要性を説明するのは、残念ながら今の僕には難しい。だけれども、ここの価値をもっと浮き彫りにしていくことは僕にとっては非常に重要な課題です。
 鳥取は、やきものには欠かせない陶土(ねんど質の土)が採れる数少ない土地であるかもしれない。陶土と言っても、やきもの産地によってその特性(例えば、土の色)は様々です。そういう意味では、これもまた固有の資源(価値)であると想う。
ただ、その陶土が採れる状況がかなり限られているという課題もあった。(例えば、陶土の採れる土地に太陽光パネルが設置されてしまったという事例。)
ひとまず、岩美町(引いては鳥取、島根も含めると山陰地方)には、実は、ものづくりの土壌があるということ。

3.川西智広さん(農家)

 鳥取大学での学生生活はすごく楽しいものであったと語るのは、トマト農家を営む川西さん。そんな学生生活を過ごさせてくれたこの鳥取の地に恩返しがしたいと、移住を決めたという。爽やかな笑顔で話す姿が印象的だった。最初の1年間は農家で修業をしながら地元の行事に積極的に参加することで、徐々に地元に馴染んでいった。そうして岩美で出逢った女性と結婚し、今では1児の父である。

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『すぐそこにいる生産者』
 川西さんの農作物は道の駅で売られているだけでなく、浦富海岸からすぐのところにあるCaféニジノキでも使われている。地産地消といっても、実感できる距離感で循環が起きているのはかなり重要なことに思える。「顔の見える」と最近ではよく言うものの、ただ産地と生産者の名前だけ載せることにリアリティはいまいち感じられないのが大都市の現状である。ここ岩美には「顔の見える」いや「人柄の見える」関係で食の循環が起きているのではないか。その関係性こそ、地産地消の本当の意味だと僕は想っている。

4.cafeニジノキ

 本当はもっとじっくりとお話を聞きたかったのが、ここcaféニジノキ。移住者である川元さん夫妻が営んでいるカフェである。あいにく、旦那さんは鳥取市街地へ買い物に出かけているところだった。やまチーム一行は、そんなニジノキでほっと一息ついていた。そろそろお暇しようとした丁度そのとき、旦那さんである壮一さんが戻ってきたのである。5分というとても短い時間ではあったけど、少しだけお話しすることができた。ただ、僕はこの短い時間に大事なヒントをもらった気がしている。

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『都会暮らしに慣れた僕』
 川元さん夫妻は、「徐々に」移住していったようである。いきなり岩美に住むのではなく、何年かは鳥取市と岩美町を行き来する生活を続けていた。「都会の暮らしに慣れていた人にとっては、いきなり移住というのはやはりハードルが高いと思う。し、僕も実際にそうだった。」と川元壮一さんは話す。バイパスを使えば、鳥取市街地までは30分はかからない。東京の郊外に住む僕の地元から、電車で新宿に行くより近い(笑)
こうした地理的条件により「ゆるい移住」(結果ではなく過程として)が成り立つのだと思う。移住(者)と一口に言っても、そこには見えない多様性が潜んでいる。
 この地理的条件は、移住せずとも「通う」ことで岩美町と繋がることができるというよりハードルの低い選択肢があることを気づかせてくれる。さらに、鳥取市とは隣町ながらも「山に分断されている」というのはもう1つの大事なポイントである。どういう経緯で合併から免れたかは分からない。ただ、岩美町が岩美町らしくあり続けることにおいて、何か関係があるように思える。

『かつての民宿の梁』
 おまけ的ではあるが、小さなヒントとして―。こちらは建築的な視点でのこと。普段、建築学科の学生と関わる機会が多いためか。
Caféニジノキが建つ土地には、かつて民宿があった。その民宿を取り壊し、同じ場所に新しく建てたのが今のニジノキである。その取り壊しの中で立派な梁が出てきたのだという。これを使わない手はないだろうと、現在のニジノキの店内にもその立派な梁は健在だ。おそらく今の資源では、ここまで立派な梁はなかなか作れないだろう。
リノベーションがもてはやされる昨今、新築であっても使える材料を再利用するという試みは新たなレイヤーを再確認させてくれた。

5.道の駅 きなんせ岩美


 道の駅は、車で旅する僕にとってはまさに聖地である。車中泊の拠点となるからだ。その土地に何があるのか、一息に把握することができるのも特徴で、観光客にとってはお土産を買う場でもある。ふと、僕はこんな想像をする。「道の駅ではじまって、道の駅でおわる旅」

『点と点の集まる場所』
 岩美町をリサーチすれば、おそらくそれぞれの地区で魅力ある活動があるだろう。それらの沢山の点が、一か所に集う場所があるとすればそれは道の駅であるかもしれない。
逆に言えば、道の駅を訪ねれば、その地域にある点が発見できるという意味でかなり重要な入口となりうると想う。(もちろんすべての点に出逢えるとは言わない)ネットで調べるのではなく、道の駅で働くいわば地元コーディネーター的な人から、もしくはその人がデザインした場所から得る情報というのは全く違ったものであるはずだ。「人」と繋がれる「場所」が、道の駅きなんせ岩美なのではないかと想う。中の人にとっても、点と点を線で結べるきっかけが起こる「場所」なのかもしれない。
 

6.エピローグ


 まち冒険解散後、車組は旅人の宿NOTEにもう1泊し、完全にOFFな岩美を楽しんだ。解散直後、福井さんにALOHAを紹介して頂き、あまりの居心地のよさに夕方まで居ついてしまう。鳥取大学の学生と合流し、鳥取砂丘で夕日を眺めた。女将の小林さんにおいしい寿司屋を紹介してもらい、岩美の海の幸を堪能。夜中は今回の旅を仲間と語り合い、浜辺に出ては満点の星空を眺めた。天の川が見えるほどの星空にはときどき星が流れる。水平線には漁火が点々と並んでいた。
 ここまでお腹がいっぱいになった旅はこれまでになかったかもしれない。こうして書いている今でも岩美のことをあれやこれやと考えている。とてもじゃないけれど、やはり一度には書ききれない。ここでの経験が何年後に実を結ぶかわからない。けれども近い将来、必ず岩美に恩返ししたいと想っている。岩美をフィールドに仕事ができればとも願っている。ここからがはじまり、本当にはじまったばかり。だから全部が伝わり切らなくてもいい。それ以上に岩美の方々と共有できたことがあると信じてもいる。
 
 最後に、今回のまち冒険プロジェクトに関わる全ての方々に感謝したいです。あまりに多くの方々のサポートの元の今回の旅。1人1人に直接感謝を述べられないのが残念ではありますが、何度も言うようにここからがはじまり。なので、これからも何卒よろしくお願いします。
 本当にありがとうございました。

勝股芳樹(かつまたよしき)

勝股芳樹(かつまたよしき)

明治大学商学部4年

旅三昧なスロースターターです
勝股芳樹(かつまたよしき)

勝股芳樹(かつまたよしき)

明治大学商学部4年

旅三昧なスロースターターです