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日常の一部としての海の存在

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古くからの漁師町、網代地区。

今回は海に生きる岩美町網代港の漁師さんたちに出会った。幼い頃から岩美町の海で育ち、中学卒業と同時に漁師の道に。

定年で地引き網漁を引退してからは、カキ漁や一本釣り船にて年金生活を支える収入を得ている。

日課は朝3時に海の様子をチェックし明け方から漁へ。仕事合間に時間ができると網代港前のアスレチックは漁師さんたちの憩いの場に。

岩美町での初日。

岩美町の海の魅力を探しに網代港へ。夏日の昼過ぎだからか、まちを歩いている人はほとんどいなく元々アポイントとっていた地域おこし協力隊の則定さんらと網代の自治会長さんに網代港周辺を案内してもらった。

突撃インタビューの難しさに直面しながら網代をあとに車に乗り込もうとした時、港前にある公園から野太い男性の声がした。

私たちは顔を見合わせ、声のする方に導かれていくとそこにはアスレチックで談笑する漁師さんたちを発見。暑い日は涼しくなる夕方に外に出てきて談笑するのが網代港スタイルなのだそう。

彼らのいるアスレチックに腰を屈めてのぞきこみ声をかけると、快く輪の中に招き入れてくれた。

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その中で網代港の漁師さんたちと会話を進めていくうちにとある疑問が生まれた。

“なぜ誰も岩美町の海が魅力的だと言わないのだろう”

なぜなら都会育ちの私にとって、岩美町の透き通る美しい海は見るだけで心が高まる存在で、当然のように漁師さんの口から”海が魅力的なんだよ”の言葉が聞けると思っていたからだ。

しかし実際は

「東京から岩美町の魅力を探しに来ました。」

と話しかけても皆が口を揃えて

「こんなところなにもないよ」

と返答。次の日、岩美町の海の魅力をシーカヤックや夕食での海産物を通して肌で感じてからは増す増す不思議に感じた。

暮らしのなかにある海

しかし漁師さんとの会話紡いでいくと、漁師さんにとっての海と私たちがみていた海は物質的に同じでも海が持つ意味が違うことに気づいた。

彼らにとって海は、日常の生活の場であり、生計を立てる職場なのである。

幼い頃から日常的に見ていた海は、家計を支える資源を皆で共有する場であり、穏やかな凪の海だけでなく時には海の恐ろしさや厳しさも目にしていたのである。

海なくしては彼らを語ることができないくらいに当たり前にあるからこそ、わざわざ口には出さないが皆岩美町の海が好きで、海から活力をもらっているように感じた。

それと同時に海と長く生きてきたからこその自らの腕に誇りを持っていたことが印象的であった。

その誇りや海の厳しさを肌で感じているからこそ後継者不足に対する行政の政策やシーカヤックとしての海の利用に対して両手を上げて賛成とはいかないようだった。

海を生活の場として大切に思っているからこそ改革を望まない漁師さんと差し迫る後継者不足の解決を試みる行政との関係は一筋縄では解決できそうもないが、岩美町の海の魅力を知ったワカモノとしてはぜひ両方が納得出来るかたちで岩美町の海を守ってもらいたいと願う。

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日常に潜む魅力

旅行という非日常的な観点では感じることの出来なかった、岩美町の暮らしの中にある海の魅力を学ぶことができたことが私にとって一番の収穫だった。

岩美町で暮らす漁師さんの当たり前にあるものだからこそ熱心に意識を傾けてはいないが、必ず海から元気をもらい海とともに生きる姿がとてもかっこよく見えた。

また、一歩視点を変えてみると当たり前にあるからこそ意識したことのない魅力や元気の源が日本全国、または自分にもあるかも知れないと改めて考えさせられた。

これから私は全国に元気や活力を届けるにあたって、日常の生活の当たり前に隠れている魅力を引き出したいと思った。

鞍橋ゆい

鞍橋ゆい

東京農業大学国際食料情報学部4年

伝えるチカラで全国に活力を届けたい。